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南インド、バックウォーター滞在 – Kochi, India

By kkyam + riito_s 2019 約7,000字 読了目安 約20分

「移動型」を自認する私は、旅先で一箇所に長く滞在することは多くない。

一都市に留まることさえ少なく、同じ宿に長期滞在したことなど、ほぼない。

しかし昨夏は違った。南インド・ケララ州のアーユルヴェーダの宿に1週間滞在したのだ。

目的はインド医学の本場で施術を集中的に受けること。首肩の凝り以外は特に身体に不調はないが、心身のデトックス効果を勝手に期待した。

とはいえ、そこにあるのは伝統医学、菜食、アーユルヴェーダ、生薬、ヨガと、どこか神秘的で、ともすれば怪しげな印象のものばかりである。

若干の警戒心を抱きつつ、それでも南インドの空気に浸る心地よさに惹かれ、ふらふらとケララーに赴いた。


インド内陸から南部を巡り、ベンガルール国際空港からエアアジア・インディアでコーチン国際空港に到着した。

南インドの西海岸、アラビア海に面したケララー州の空の玄関口であるこの空港に降り立つのは、今回で3回目だ。

ターミナルの外に出て振り返ると、その建物の外観の独特なデザインが目に飛び込んでくる。

インドの伝統建築のようでもあり、テーマパークの奇抜な建物のようでもある。何度見てもどこか不思議であり、同時に懐かしくも感じる。

コーチンでは、ケララーの水郷地帯、バックウォーターにあるアーユルヴェーダの宿に1週間ほど滞在予定だ。

バックウォーターには2017年秋に訪れている。その時、水路を進むハウスボートの上から岸辺の森の中に建つさまざまな邸宅を見て、そこでの暮らしを垣間見てみたいと思ったことが、再訪のきっかけでもある。

空港には滞在先の宿から迎えの車が来るはずなのだが、待ち合わせの到着ロビーには誰もいない。まあ、インドタイムはこんなものだろうと思い、しばらく待つことにした。

屋外のベンチで風に吹かれている間、アーユルヴェーダと向かう先の宿について予習しておく。

資料によると、アーユルヴェーダとはインド大陸の伝統医学で、相互に影響し合って発展したギリシャ・アラビアのユナニ医学、中国医学と合わせて「世界三大伝統医学」とされている。

体内の体液や病素などのバランスが崩れると病気になるという考えが基本で、治療法としてオイルなどを使ったマッサージをベースに、全身の血行や体質を整えていく。そしてケララーは体系化されたアーユルヴェーダ治療の発祥の地だとある。

まさにここは「本場」なのである。

とはいえ、自分がそれほどインドとインド的なものの価値に傾倒したり、手放しで好意を持っているかというと、そんなことはない。インドを訪れるたびにさまざまな局面で心底うんざりした気分になるし、ましてやこの国の伝統や精神世界に関心はあるものの、一部には懐疑的ですらある。

ただ、この国は知らないことだらけである。そして旅人として知らないものへの興味が尽きることはない。

南インドで本格的なアーユルヴェーダにどっぷり浸かるというのは、ここにしかない旅体験である。

一週間もの間、基本的にベジタリアンに近い生活とトリートメントを受ければ、仮に治療的な効果はなくとも、肉体的なデトックス効果があるのではないか、と勝手に考えたりもした。

さらに、もしインターネット環境が限定されていれば、いわゆる「デジタル(情報)デトックス」も体験できるかもしれない…。

そんなことを考えていると、目の前に「K. K. Yam」と手書きしたメモを持った若者が顔を覗かせた。ドライバーのようだ。

若者は無言で私を車に案内し、荷物をトランクに詰め込むと、さっそく滞在先に向けて走り出した。

宿は「アルビンズ・グローリー(Albin's Glory)」という。毎日のアーユルヴェーダのトリートメントは、近隣にあるインド医学のドクター・サバッシュの自宅兼クリニックで行う。

滞在は日本からインターネットで自分で手配したが、ここを選んだのは、英語で予約可能な施設の中で、アーユルヴェーダ施術ができる本格的な病院に付属するホテルや、ゴージャスホテルにおまけ程度のアーユルヴェーダ施設が付いたものとは異なる、バックウォーターに面した邸宅に泊まりながら本格的なトリートメントが受けられる選択肢だったからだ。

滞在は6泊7日を予約している。

車はケララーの中心部を抜け、郊外の街に着き、路地に入る。インドの少し裕福なコミュニティの奥まったエリアのようだ。

さらに狭い裏通りを進み、空港からおよそ1時間で、目的地のバックウォーターの川面に面した建物の前に到着した。滞在先の「アルビンズ・グローリー」である。

緑濃い樹木に覆われた平屋の建物で、あのハウスボートから見た邸宅の一つである。造りはシンプルで瀟洒なサマーハウスのようでもある。

建物を正面から見ると、シンメトリーの意匠が美しい。広い前庭は丁寧に整備され、木々の枝には木製のハンモックやブランコがぶら下がっている。大きなテーブルが置かれた東屋では、大勢で食事をすることもあるのだろう。

庭のすぐ先はバックウォーターの水路だ。対岸までは二百メートルくらいあるだろうか。波のほとんどない水面に、いくつかのボートが穏やかに進んでいる。庭先には車寄せのようなプライベートのボート乗り場が見える。


DAY1 バックウォーターでの生活


ここはいわゆる一般的なホテルではない。あくまでドクター・サバッシュのクリニックで継続的にトリートメントを受ける人たちが滞在する専用施設である。

よって、フロントなどはない。スタッフはサリーを着た数人の女性が、食事の準備と配膳、掃除などの作業をするために必要な時間に、近隣の自宅からやって来るそうだ。

セバスチャンという男性マネージャーがいるが、常駐しているわけではないようだ。建物に入ると大きなホールがあり、それを囲むように滞在者の部屋が6つほどと、ダイニングルームなどがある。

各部屋にはバスルームがついており、全体的に清潔で快適だ。窓から入る自然光とゆっくりと吹き抜ける風が心地よい。

案内された部屋で荷を解き、ここでこれから一週間過ごすのか、と思うと不思議な安堵感がやってきた。初日はトリートメントがないので、さっそく庭に出て椅子に座り、バックウォーターの水路と夕日、ゆっくりと飛び交う鳥などを眺めていると、そのあまりの平静さと穏やかさに、すでに時間の感覚が薄れてくる。

午後6時になり、スタッフが「ディナーですよ」と声をかけにやって来た。ああ、食事はそういう仕組みなのか、と思いつつ屋内のダイニングに向かうと、すでに7人ほどの宿泊客がテーブルに着いていた。

皆ヨーロッパ人のようである。軽く挨拶をすると、彼らはモーリシャス系フランス人の母親と娘、フランス国内で遠距離恋愛中の男女カップル、フランス・ナントに住む単独女性、そしてスイス人の女性2人(友人同士だが別スケジュールで来ている)だった。

それぞれ2〜3週間滞在中とのことで、数日前に到着した人もいれば、すでに滞在3週間の最終週だという人もいる。テーブルでは、主にフランス語で話すグループと、ドイツ語で話すグループになんとなく分かれるが、基本、大勢で一緒に食事をしている。

私は英語で会話をするが、何と言っても南インド長期滞在、アーユルヴェーダ体験という共通の目的があるために、出身地や母国語はあまり関係なく、見知らぬ者同士で話が弾む。

食事は豆や米にカレーなどのスパイスを使った南インド料理とフルーツが基本の、ベジタリアン・フードである。すべてすぐ横のキッチンで、スタッフの女性が素材から手作りしたものだ。見た目のシンプルさ以上に、味がしっかりしている。

食事にはアルコールもソフトドリンクもなく、用意されているのはカフェインレスのインドティーと水だけだ。

午後7時半ごろに食事が終わりかけた時に、ふと、「明日のトリートメントの時間などを聞いていないが、どうやって確認するのか?」と皆に聞くと、「そのうち誰かが教えてくれるよ」とのこと。誰かって、誰?と思ったが、まあそのうちわかるだろう、という気になり、部屋に戻ってシャワーを浴びることにした。

時刻は午後8時すぎ。すっかり静かな夜である。皆それぞれの部屋で本を読んだりストレッチをしているのだろうか。さすがにこの時間にはまだ眠れないだろうと思っていたのだが、窓の外の虫の鳴き声に聞き入っていると、いつの間にか眠りに落ちてしまった。


DAY2 初のアーユルヴェーダ体験


庭の鳥の鳴き声で目を覚ました。時刻は6時前である。9時間以上、眠ったのか…。前日までの移動の疲れもあったのだろう。

天気がよさそうなので、庭に出てバックウォーターの水際まで行ってみる。朝焼けに燃える水面が美しい。遠くに漁師が小さな船の上から円弧を描いて投網を打っているのが見える。穏やかな光景である。

部屋に戻ろうとすると、邸宅のホールで早朝ヨガのセッションが行われていた。滞在者の4、5人が男性のヨガマスターを囲み、リラックスした雰囲気で皆さまざまなポーズをとっている。脇をそっと通り抜けようとする私にも笑顔で朝の挨拶をするなど、実に自然体である。

マスターから、「よかったら明日、参加してみれば?」と声をかけられた。

部屋で朝の支度をしていると、スタッフが、朝食の準備ができたこと、そして今日のトリートメントは11時からで、それに向けてのオートリクシャーのピックアップが10時30分だと伝えてくれる。そのうち誰かが伝えてくれる、とはこういうことだったのか。

朝食はフルーツをアレンジしたものが中心で、飲み物にはフルーツジュースもある。ほかの滞在者たちと一緒に食べ終えると、以降はトリートメントでクリニックに出向く以外は自由時間だ。

日がな一日、庭のハンモックで本を読んでいてもよし、ジョギングに行ってもよし、大通りに買い物に行くこともできる。さらにはオートリクシャーとフェリーで30分ほどかけて、ケララー最大の市街地にして観光地のフォート・コチに向かえば、カフェやレストランでコーヒーもビールもステーキも楽しめる。

ここは禁欲の場所ではなく、何も強制されない。すべては自分次第なのだ。とはいうものの、滞在二日目にしてすでに、ここにないものはないでそれでいいではないか、地元の人(ローカル)のようにしばらく暮らしてみるのもなかなか楽しい、などと思えてしまうから不思議だ。

やはり人は環境の生き物、ということか。あるいは普段の生活があまりに余計なものや誘惑だらけであるということか。

アルビンズ・グローリーにはWi-Fi環境があったが、動画ストリーミング再生などには少々難のある速度だった。日中と深夜には無線が途絶えることもある。日本のSIMカードで国際データローミングをしたり、ローカルのSIMカードを買ってもいいが、あまりその必要性を感じない。

生きることに必要な基本的なことがバランスよく揃っているからだろう。我ながら、スローでも最低限使えるネット環境があればそれで問題なし、などと思ってしまうのが面白い。

トリートメントの時間が近づき、オートリクシャーで集落を駆け抜け、10分弱でドクター・サバッシュの自宅兼クリニックに到着した。こちらもバックウォーターに面した緑と花に囲まれた邸宅である。2階のテラスが待合スペースになっている。

アーユルヴェーダのトリートメントは、ドクターのコンサルテーションから始まった。現在のライフスタイルや食べ物などの嗜好、体調や既往歴などを事細かに確認して、それによって施術するトリートメントの内容を決めるという。

このコンサルテーションは毎日行うというから、まさにドクターによる「診療」である。私には、オイルを使った全身のハンドマッサージを中心に、首肩の凝りほぐしが行われた。男性の施術者2人がかりで、全身の筋肉を揉みほぐし、経脈を刺激する。

どこに痛みがあるかを確認しながら、細かなポイントに集中的に力を加えるのだが、その独特の雰囲気と温められた濃厚なオイルの香りから、アーユルヴェーダがこれまでのどんなマッサージや整体的治療とも違うことがわかる。

使用するオイルは被施術者ごとに、トリートメントごとに調合するようで、コンサルテーションの直後、ドクターが施術担当者に事細かに指示を出していた。

およそ1時間の施術の後は、頭皮と髪を含めて全身がオイルまみれになるが、すぐにはシャワーを浴びられない(浴びないほうが治療効果がある)。ただ、インドの気候や周囲の環境からか、それにもすぐ慣れるから不思議だ。

午後からはまたのんびりと庭のハンモックで過ごす。ランチや夕食で皆と食事をすると、それぞれさまざまな理由でここに来ていることがわかり、なかなか興味深い。

脱日常の目的で来ている人、ストレスからの自己解放の鍵がインド医学にあると気づいた人、西洋医学では自分の慢性的な病気が改善できずに治療をアーユルヴェーダに求めた人、その効果が明らかであると感じ、10年以上前から毎年ここに通い続けている人などがいた。

それに比べると自分などは、恐る恐る際物(きわもの)を覗き見るように、一週間だけここに立ち寄っている、そんな感じである。

オイルマッサージの影響だろう。夜9時前にはもう眠くなる。自然な環境の中で、身体が自然に回帰しているのか。まだここに来たばかりだというのに。


DAY3 ベジタリアン・フードになじむ


2回目となるトリートメントの内容も昨日とほぼ同様に終えたが、すでに首と肩の凝りが少し改善したように思える。少なくとも身体に良いことをしている、という実感はある。

アルビンズ・グローリーでの食事は、引き続きベジタリアンフードで、毎食、豆類とカレーとフルーツ、そして米が主体であることは変わらないのだが、そのビジュアルも味も意外なほど多彩で、飽きがこない。

何よりも毎回の料理の満足度がとても高い。これだけで肉や動物性の脂、さらにはジャンクフードやコーヒーなどが欲しい、とまったく思わないことが不思議なほどだ。食にはその土地の風土やライフスタイルにマッチした、美味しさと充足度というものがあるのだろう。


DAY4 市街地へ出向く


早朝には雨が降っていたが、トリートメントに出かける日中は快晴になっていた。トリートメントでは、ドクターが「今日からオイルのタイプを変える」と言っていたが、詳細はわからない。

全身の筋肉がほぐれてきた、と施術の男性の一人が言う。ただ、首肩の凝りが戻らないよう、自分でも毎日呼吸を整えて全身を動かすことが重要だ、と言う。なるほど、である。

トリートメント終了後、気分を変えて、フォート・コチ(コーチン)の中心に足を伸ばしてみた。数日ぶりの市街地である。喧騒が少し懐かしくも感じられるが、どこか落ち着かない。

カフェでビールやコーヒーを飲みたいと思わないのは、アーユルヴェーダ体験で何かが変化した、ということなのか。習慣的には飲もうか思うのだが、身体がそれを欲していないのである。

それだけでなく、早くアルビンズ・グローリーの静けさに戻りたい、などさえ思ってしまい、早々に帰りのフェリーに乗った自分である。


DAY5 そして、ヨガ体験へ


早朝、ホールで行われている自由参加のヨガに参加してみた。それまで私はヨガに偏見を持っていた。ジムなどで試したことはあったが、あの周囲から閉ざされた独特の雰囲気が好きになれなかったのだ。

ここアルビンズ・グローリーでも意図的に避けていたのだが、皆毎朝、自然な空気の中で、オープンな雰囲気でヨガを行っているのを見て、自分も参加しようと思ったのだ。

ヨガマスターのインストラクションに合わせて全身をゆっくりと動かすと、体の思わぬ場所に力が入ったり、抜けたりする。身体・筋肉が呼吸や内臓と一体であることが、直感的にわかる。

そして何より、ごくゆっくりとした動きであるのに、汗がとめどなく流れるのも不思議である。ヨガの凄さを今さら知ってしまった気分である。

その日のトリートメント前のコンサルテーションでドクターにそのことを伝えると、「ああ、ヨガはやるといいですよ」と、まるで、そんな常識を知らなかったのは世界であなただけだ、と言わんばかりの答えだった。


DAY6 ついに身体に変化が?


ベジタリアンフード、刺激物とジャンクフードのない食生活、9時間近くの睡眠、自然の中でのリラックスした時間、限定的デジタル・デトックス、そして早朝ヨガとアーユルヴェーダのトリートメントが続くこと約1週間が過ぎた。今日が実質的な最終日である。

トリートメントでは、マッサージに加えて、額の「第三の目」があるというポイントにオイルを垂らす「シロダーラ」が行われた。アーユルヴェーダの代名詞のようにも言われるトリートメントだが、額と顔と髪がこれでもかというほどオイルまみれになったものの、その効果はすぐにはわからない。

連日の施術をすべて終え、ドクターからは「トリートメントを3週間くらい続けると、身体にはっきりと良い変化が出る。次はもっと長く来なさい」と告げられる。さらにインド医学における私の身体のタイプと優先的に摂取すべき食べ物、避けるべき食べ物などを書いた長大なリストをもらう。

アーユルヴェーダ体験の終わりである。ほっとしたような、寂しいような一時(ひととき)である。


DAY7


すっかり同居人のようになった滞在者たちに別れを告げ、アルビンズ・グローリーからコーチン国際空港に向かう。全身の皮膚や髪が、何度洗ってもトリートメントオイルでねっとりしているのが気になる。

ここに3週間以上滞在したら、一体どうなるのか。そしてわずか7日間で、体重はおよそ3キロ減った。おそらく健康的な食生活のためだろう。首肩の凝りも少し軽くなったような気もする。

日本への帰国に向けてトランジットしたムンバイでビールを飲んだが、アーユルヴェーダ体験前と少し違う味に感じた。そして日本到着後、ビールの味はいつの間にか以前と同じになり、体重もゆっくりと元に戻った。

現在までにインドでの日々が何事もなかったように思える日常が戻ったわけだが、あのアーユルヴェーダ体験で、自身が少なからず変化したとも感じている。

ベジタリアン・フードとごく自然な環境でもなぜか不足・不満なく過ごせること、それが身体のバランスを整え、内なる力のようなものを引き出してくれるように思えた体験の意味は大きい。

人は環境の生き物で、環境が変化をもたらす。それが良い方向であればなお良い。

わずか一週間の「滞在型」のアーユルヴェーダ体験の旅で知ったのは、未知なるインドの奥深さであると同時に、人間としての自分のポテンシャルだったかもしれない。

旅は目的地を知ることだけでなく、自分を知ること、ということだろうか。そんなことをずしりと胸に感じながら、「滞在型」の旅もなかなか捨てがたいものだと思った。

― 了 ―

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