「煩わしいと思うかどうか、なんですよ」
耳鳴りの専門医は、私の左耳を見ることもなく、ボソリと言う。
「そうですよね」
私は返事しながら、心の中で自分自身に「そうですよね、じゃないよ」と突っ込む。そして医師に形だけの礼を言って診察室を後にする。
これは数ヶ月に一度繰り返されるルーティーンだ。
耳鳴りは、三年ほど前に、突然、左耳だけに発症した。聴力そのものには問題はなく、耳の奥の脳みそのどこかで、いつも航空機のジェットエンジンのような滑らかな回転音が響くようになった。今は、風に流れる霧を音にしたらこんな感じだろうか、などと思ったりもする。
当初は、片耳だけという不快感からパニックにも陥ることがあったが、急を要する問題がないことを告げられ、慢性的だがさほど不便はさほどないと自覚すると、楽になった。自分の身体左半分だけが深い森の中に入り込んでいるような、どちらからというとポジティブな気分になることさえある。何かに集中している時には、耳鳴りは全く聴こえない。
辛いのは、無音のエレベータの中や、一定時間の無音が演出される映画の静的シーンに遭遇するときなど。この世界にある音というものは、自分の左耳の奥のジェットエンジン音だけだ、などと考えてしまうと、それは煩わしさであり、時には恐怖になる。
耳鼻科には二年ほど前から通っているが、一般的な聴力検査以外は、「前回からどれほど煩わしいと思ったことがあったか」というようなセルフチェックだけが行われる。
「もしかして、一生治らない可能性はありますか?」
「外科的な治療というものはありますか?」
私のそんな質問には、医師は何も答えない。
「これは治療なのか?」
そんな疑問が首をもたげるが、専門医に「煩わしいと思うかどうか、なんですよ」と言われると、「そうじゃない。リアルになんとかしてください」と思いながらも、ただ、「そうですよね」と返事をしてしまう。そして、それによって妙に落ち着く。
そもそも本当に耳鳴りはしているのだろうか? 考えてみれば、それは自分以外の誰にもわからない。医師にもわからない。いや、自分自身でさえもよくわからない。
聴こえている、というのは一体どういうことなのか? 空気の振動で鼓膜が震えることを指すのか、その信号を脳細胞が認識することを意味するのか? 聴力が正常で、耳鳴りだけがする、というのはどう理解すべきなのか? 全くわからない。
ただそこに、自分の左半分に、自分だけが知覚できる宇宙が広がっている。それだけは確かだ。医師の言うとおり、それを煩わしいと感じなければ、それは正常な自分自身の一部であり、自分だけのものなのだ。
ああ。あの専門医の治療は、耳鳴りそのものをなくすのではなく、自分の身体に対する私の意識を変えることだったのか。そのことに、今、ようやく気づいている。
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