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神の客 になる中央アジアの旅 【後編】- Kazakhstan and Kyrgyzstan

By kkyam + riito_s 2017 約7,000字 読了目安 約20分

「突然の来訪者は神の客」ということわざがあるという、中央アジア、カザフスタンとキルギスタンへの旅。【前編】では、エア・アスタナでカザフスタンのアルマティに到着し、キルギスタン中部の山岳湖、ソンクル湖畔まで移動した。ユーラシア大陸のど真ん中を体感し、旅のエネルギーをフルチャージしたところまでをお伝えした。この【後編】は、そんな陸路でめぐる中央アジアの旅の続きである。


ソンクル湖を後にする


目を覚ましてまず、寒さで昨晩何度も起きたことを思い出し、自分が標高3000メートル超の山岳湖畔のユルト(キルギスの遊牧民の居住テント)の中であることに気づいた。ごそごそと小さな出入口をくぐり外に出ると、朝の光に草原とソンクル湖の湖面が輝いている。空気は澄み、空は果てしなく青い。来訪者用の3つのユルトを囲む位置の地面に洗面台がぽつんと立っていて、ホストの娘が寒さからか頬を赤らめて歯を磨いている。遊牧民スタイルでは洗面も歯磨きも野外なのである。

朝食に呼ばれて食事用の小屋に入ると、隣のユルトに泊まっていたキルギス人家族が和やかに座っている。がっしりとした体型の父親と家族の世話を焼く母親、そして子どもは10代半ば、10代前半、6歳くらいの男の子が3人。みな風貌が日本人のようで、日本の朝食風景にも見える。子どもたちに伝統的なユルトでの滞在を体験させたくて、キルギスタン東部から車で来たそうだ。

大学で働くという母親が英語を話すので、食事をしながらキルギスタンのことを尋ねてみる。「キルギスタンでは『風貌が同じ日本人とキルギス人は同じルーツを持つ。魚を食べる人たちが日本に行き、肉を食べる人がキルギスタンに来た』と言われていると聞いたが、それ本当?」と聞くと、「まあ、面白い話だけど、みんながそんな風に言っているわけじゃない」とクールな返事。

言われてみれば、そりゃそうだ。中国人だって韓国人だって魚を食べるし、ざっくり見た目は同じ。日本人だけ特別枠で語られるのは不自然だ。気を取り直して今度は「高地の冬は厳しいが、夏が終わるとこのユルトはどうするの? 遊牧民として、ユルト一式を畳んで暖かいところに移動する?」と聞くと、「ユルトは伝統文化だけど、ここに建っているのは夏の間の『観光』ユルト。ホスト家族はもうすぐ一式畳んで街の家に帰るよ」ときっぱり。

なるほど、ここで時間を共にした「ユルト暮らしの遊牧民の子どもたち」は、実は都会っ子で、家族の季節ビジネスに付き合わされて、休暇中ここでキャンプ生活のようなものを楽しんでいたというわけか……。

私が現実を知り、いくらかがっかりした表情をしていたのだろう、寡黙だった父親が「まあ、これ飲んで元気出せ」と馬乳を勧めてくれる。馬の搾乳を発酵させたもので、微発泡のヨーグルト飲料のようだ。腸内環境を整える効果があるから、旅人にはぴったりである。クムズ(馬乳酒)の原料にもなるそうで、キルギス人のソウルドリンクなのだろう、馬乳を飲み干す私を、父親が満足そうな笑顔で見ていた。

ほどなくして、ここまでの往路を運転してくれたドライバーのスルガックさんがやってくる。これから山麓のコチクルの街までの復路を運転してくれるのだ。相変わらず寡黙ではあるが、約束の出発時間の20分ほど前にやってきて、ニコニコしている。風貌からしてもすっかり日本の親戚のおじさんである。

荷物を積み込み、隣人家族とユルトのホストに礼を言い別れを告げて出発すると、湖畔のはずれで実際に「観光」ユルトを畳んでいる人たちを見かけた。家族総出でテントを解体し、パーツにして乗用車のトランクと屋根に積み込んでいる。今年の夏の商売もこれで終わり、とどこかほっとした表情をしているように見えたのは気のせいか。


ビシュケク経由でカザフスタンのタラズへ


コチクルからマルシュルートカ(乗り合いミニバス)で3時間ほどかけて首都・ビシュケクに向かう。そしてバスターミナルでさらに別のマルシュルートカを探す。目的地はカザフスタンのタラズという街である。ビシュケクからほぼ真西に、高速道路をおよそ300キロメートル進む、約4時間の行程だ。

途中、キルギスタン/カザフスタンの陸路の国境越えがある。陸路の国境と聞いて少し引っかかるのは、キルギスタン入国後、「外国人がキルギスタンに4日以上滞在する際には登録が必要だ」「いや、規則が変わった」「やはり要る」「要らなくなった」と情報が入り乱れ、ビシュケクの警察や移民局などで確認するもたらい回しにされ、挙げ句「(日本人には)要らない――、ようだ」と告げられていたからだ。この先の陸路のカオス(であろう)イミグレーションで、そのことを蒸し返されたら面倒である。

マルシュルートカは原野を突き抜ける高速道路をひたすら進む。沿道にだけ緑豊かな樹木が高くそびえているのは「街道」の雰囲気たっぷりである。もしかしたらかつてのシルクロードのルートに沿って高速道路が建設されたのかもしれない。

1時間ほどでイミグレーションがある混雑したエリアに到着。車を下りて歩いて出国審査小屋に向かうが、狭い入口への行列が乱れていて、人々も困惑している。買い出しだろうか、大きな荷物をカートで引いている女性もいれば、家族連れやビジネスマン風の男性もいる。アジア系の顔をした人、ロシア系であろう白人の風貌の人、そして中東系と思われる人たちが、押し合いへし合い団子になってイミグレーションカウンターを目指している。

ときおり私にカザフ語やキルギス語で話しかけてくる人がいるので、適当に英語で答える。「そうか、お前は旅行者か」という表情になり会話は成立しないが、互いに少しはイライラを紛らわすことができる。「これはカオスだ。でもきっとうまくいくよ」などと言ってくるやからもいる。「うまくいくイミグレーションってなんだよ」と突っ込みたい気持ちを胸に収めていると、牛歩は進み、やっとカウンターに到着した。

粗末な木造の小屋の窓の奥には覇気があまり感じられない審査官が尊大な態度で座っている。私のパスポートのページをゆっくりと1枚1枚めくっているのを見て滞在登録の件を思い出し、少し暗い気持ちになる。審査官が「入国のスタンプがない」と言うので、ここだ、と指差すと、「そうか」という表情で無気力に出国スタンプを押した。

あの滞在登録というのは、そもそも不要だったのか、もう出国するから「いい」となったのか、入国スタンプが見つかったことにほっとして確認を忘れたのか、単に面倒だったのかは不明である。(筆者注:規則は頻繁に変わるようなので、行かれる方は随時大使館のウェブサイトなどで確認してください)。

100メートルほど歩くと、今度はカザフスタンの入国手続きの建物がある。往路のイミグレーション同様、ここでもキルギスタンとカザフスタンの国力(主に経済力)の差が如実に現れていた。カザフスタン側は圧倒的に建物がきれいで大きく、天井も高い。激しく混雑する順番待ちの列の最後尾にいると、「お前はこっちだ」と言われ、列の先頭に案内され、なぜかすぐにカウンターに進めた。

審査官は太って腹が出ている悪徳代官のような中年男性である。無言で私のパスポートの全ページをスキャンするかのようにめくり、過去のロシアやアルメニアのビザを見つけ、ちらりちらりとこちらを見ている。ここで難癖をつけられては面倒なので、付け入るスキを見せないよう、不安顔ではなく、あえて間抜け顔でヘラヘラしていると、審査官が早く行け、という感じでスタンプを押した。少なからぬ緊張感と努力が必要な陸路のイミグレーション、嫌いではない。

マルシュルートカでさらに高速を進むと、道路をまたぐように「タラズ」と書かれたゲートが現れる。ようやくタラズの街に到着である。車内ではそれまで寡黙だった人たちが少し笑顔で話し始め、うれしそうに降車の準備を始めている。


シルクロードの要衝、タラズ


タラズを訪れることにしたのはここが、歴史が3000年前までさかのぼるという大シルクロードの要衝で、現在の中心部はほぼすべてソ連時代に計画的に建設され、そのまま残されていると聞いたからだ。経済発展に伴って、都市化、西欧化(脱ロシア)が進むカザフスタンの都会でも、昔ながらの風景や人々の暮らしの一端を見られるかもしれないと思ったからだ。

市街中心部は車道と歩道が共にとても広い道路が効率的に張り巡らされ、広大な公園や植樹された自然空間などが多くある。建物は質素ながらも堂々・堅牢としたデザインで、威厳と風格が感じられる。商業的な看板などは少なく、洗練された都市空間が緑に覆われ、まるで一つの巨大な公園のようだ。一方で、中心部を少し外れると、マーケットやモスクなどが、おそらく1000年単位でその姿を変えていないのではないか、という風情で建っている。行き交う人々の表情は穏やかで、旅人の嗅覚をもってしても不安要素はほとんどない。

カフェに入ると、若い人们が友人同士のおしゃべりやビジネスの話題で盛り上がっていた。誰もが楽しそうだ。広場では週末の夜のイベントだろうか、飲食物屋台や電動バイクの貸出しのブースが出ていて、家族連れやカップルが夜の散歩のように繰り出している。みなエネルギーに満ちていて元気だ。若い人の中には英語を操る人も多い。不思議に落ち着く街の雰囲気は、歴史的な都市の美しさと現在の人々の暮らしの豊かさにある、そんな印象だ。到着したとき、「ほら、あれがタラズのゲートだ」と誇らしげに言った地元の人々の気持ちがなんとなくわかる。


鉄道でアルマティへ


鉄道駅に着いた。規模感がある堂々とした建物だ。駅舎の1階には案内や発券カウンター、そして旅行会社のカウンターなど。2階は待合室だが、天井が高く窓が広い。線路を見下ろすテラスで外の空気を吸いながら列車などの写真を撮っていると、警官がやってきて、カザフ語で何かをまくし立てている。どうやら鉄道駅は撮影禁止、と言っているようだ。そういえば空港同様、鉄道駅での撮影を禁じている国はほかにもある。準軍事施設のような扱いだからだそうだ。ただ、撮影した画像を消去しろとまでは言わなかったのは、ここではある程度形式的な規制なのかもしれない。

アルマティまでの鉄道チケットは昨日、市中の旅行会社で手配した。社長が「日本人がやってきて、チケットを買った。今日は歴史的な日だ」などと笑っていたのが記憶に残る。チケットは記名式。A4の紙2枚にびっしりと情報が印刷されている。乗車時間約12時間。運賃は1500円ほど。距離は500キロメートル超。

出発時刻になり、指定の車両に乗り込むと、内部は寝台車スタイルで、コンパートメントには左右に2段ベッドがある。同室するのはおばあちゃんと孫であろう聡明そうな男の子の兄弟の3人組だ。英語はあまり話さないが、警戒心はなく、かといって過剰に干渉もせず、自然な距離感でときおり話したり、互いに果物を分け合ったりする。

窓の外には無限の平原が続く。自分が乗る鉄路だけが、人の営みのあかしのようだ。おばあちゃんはときおりお茶を淹れたり、お菓子をつまんだり、うたた寝をして過ごしているが、男の子たちは通路に出て動き回り、体を動かしている。他の子どもたちにも「日本人」の話を伝えたのだろうか、時々知らない子どもが私のコンパートメントを興味津々の表情でのぞき込んでくる。

列車の振動と風の音を聞きながら、時間が穏やかに過ぎる。異国の鉄道の旅では阻害されず、無視されず、安全に心地よく過ごせれば、それはすでに「歓迎」されている状態だと思っている。カザフスタンの鉄道の旅がまさにそれだ。

タラズからアルマティには航空便も飛んでいるが、カザフスタンではソ連時代に広範囲に整備された鉄道が現在も機能していて、庶民の重要な国内移動の手段になっている。ただ、中央アジアの鉄道網はソ連という枠内で設計・設置されたもので、国境が複雑に絡み合う現在のこの地域では、ときおり、まっすぐな鉄道路線が突然国境を越え隣国に入り、またわずかな距離で元の国に戻るような場所が多々ある。

そのつど出入国審査があるというが、鉄道も国境も簡単に変更できないので仕方がない。近代史の遺産、ということだろう。ただ、タラズ〜アルマティ間の鉄路にはそのような国境はなく、ひたすら東に驀進(ばくしん)するのみである。ときおり停車する街は、まるで砂漠のオアシスのように、低い草原の中にその周囲だけ緑が生い茂っている。鉄道駅舎はどこもとても大きく威厳がある。

夕暮れから夜になり、開け放たれた窓から入ってくる風も冷たくなってきた。街の灯りが増してきて、アルマティに近づいたことがわかる。夜の11時すぎ、長い旅を終えた列車がアルマティ2と呼ばれる中心部のターミナル駅のホームに滑り込んだ。降車の準備をしていると、タラズ出身でアルマティの大学の新入生だという男性が英語で話しかけてきた。

「どこから来たのか?」と聞くので「日本から旅行に来た」と言うと、「いったいなぜカザフスタンに?」と首をかしげる。「休暇ならヨーロッパに行くべきだ。すばらしいところで、ここと違ってなんでもあると聞いた」と、学生。卒業したら西ヨーロッパでエンジニアを目指すそうだ。「えー、カザフスタンにもいろいろあるし、来たことがなかったし、ここの人は素晴らしいし……」と答えるが、向こうはあまり聞いていない。独立からはや26年、アイデンティティを確立し、経済発展を遂げ、文化的にも西欧を目指す若い国の若者の、外向きのほとばしるエネルギーを感じた。


アルマティへ戻る


アルマティに数日滞在し、美しい街を毎日ぶらぶら歩く。最初に到着した時に思い浮かんだ「leafy(葉が生い茂る)」という言葉が脳内で繰り返される。緑に包まれた市中は街区や公園、大型建造物の設計が美しく、そこで人々が豊かな都市生活を送っているのがわかる。都会らしく、一見クールで寡黙な人が多いが、それでも道を尋ねるとスマホを駆使して丁寧に教えてくれたり、実際に道案内してくれたりすることも印象的だ。

ロープウェイで市街のはずれの標高1070メートルの丘、コクトベに登ると、街の全体を見渡せる。晴れ渡る青空を360度見回しているとき、10日以上前に中央アジアに到着してから、カザフスタンでもキルギスタンでも毎日が完璧な晴天であったことに気づいた。

そういえばスマホの天気予報アプリはいつも、その日終日と向こう1週間、すべて晴れマークを表示していた。これだけ青い空のもとを連続で旅したことがこれまであっただろうか。ふとカザフスタンの国旗のベースカラーが淡いブルーであること、この国を象徴するさまざまなものが青系であることを思い出し、今見ているこの紺碧の空こそが、この国のシンボルであろうと想像した。

太古からさまざまな人々が行き交うこの中央アジアへ突然やってきた自分は、果たして「神の客」になれたのか。ユーラシア大陸のど真ん中に広がる無限の青空と乾いた空気が、その答えを教えてくれるような気がした。

― 了 ―

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