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神の客 になる中央アジアの旅 【前編】- Kazakhstan and Kyrgyzstan

By kkyam + riito_s 2017年 約7,000字 読了目安 約20分

世界地図を眺めながら、ユーラシア大陸の中心はどこか、と考えていると、中央アジアに目が留まる。かつて大シルクロードの主要ルートが通り、今も多方向に広く開かれていると思われるエリアだ。もしかしたら、そこはあらゆるモノや人が行き交い、集積し、融合する、豊かな土地なのではないか。そんな勝手な想像を抱き、そしていまだ体感したことのない色と音と匂いに惹きつけられ、ユーラシア大陸のど真ん中、カザフスタンとキルギスタンを旅することにした。

搭乗するのはカザフスタンのフラッグキャリア、エア・アスタナだ。この旅行記はそんな中央アジアへの陸旅の記録の【前編】である。


香港国際空港からエア・アスタナに搭乗する。独特な空気感にエキゾチックな雰囲気(エキゾ感)が高まるのは、ロゴやマーキングが目新しいだけでなく、機材が日本ではあまりなじみのないボーイング 757-200だからかもしれない。

機内は明るく、インテリアは洗練されている。エコノミーシートはピッチを含めて座席周りに特に不満は感じない。当然のようにフルサービスが提供され、機内食はもちろんアルコール飲料もすべて無料だ。機内エンターテインメントは個人モニターで多様なコンテンツをカザフ語、ロシア語、英語で楽しむことができる。

カザフ人であろうクルーには、東アジア人(つまり日本人)にも見える外見の人もいる。さまざまなサービスを的確かつホスピタリティに満ちた笑顔で提供している。エア・アスタナは経済発展を続けるカザフスタンを代表するエアラインとして、中央アジアの豊かな伝統や文化を継承しつつ世界レベルの安全性とサービス品質を目指し、今まさに世界の空に飛躍する翼である、などと思わず搭乗直後から大真面目にレビューしたくなるほど、そのレベルは高い。

機内ではさまざまなことがスマートに、きっちりと提供されており、極めて快適にリラックスした時間を過ごすことができる。カザフスタンでは旅人へのもてなしは最高の徳として大切にされているという。「突然の来訪者は神の客」ということわざさえあるそうだ。移動の多い遊牧民の文化やシルクロードの歴史とも関係しているのだろうか。いまだ見ぬ地について思いを巡らせていると、6時間の空の旅などあっという間である。

中国西部からタクラマカン砂漠上空を過ぎ、天山山脈を越えると、まもなくカザフスタン最大の経済都市で旧首都のアルマティに向けて降下するとのアナウンスが入る。機窓から眺める空の高さと青さに驚き、それでもその光景に不思議とどこか懐かしさのようなものを感じていると、機体はアルマティ国際空港にランディングした。のんびりした雰囲気のランプには、見慣れない中央アジアやロシアのエアラインの機体がぽつりぽつりと駐機している。ターミナルの外観は小ぶりだが、国を代表する国際空港の威厳やスタイリッシュさも、それなりに感じられる。


アルマティ国際空港


入国審査場は狭いホールにブースが数か所並び、混雑している。入国カードの記入欄がカザフ語とロシア語だけで、審査官や保安員の制服や制帽のデザインが仰々しく威圧的であることに一瞬ひるむ。権威主義がはびこる国にありがちな傾向で、旅人の嗅覚が「気を緩めるな」とざわつく。そういえばカザフスタンの陸路のイミグレーション(出入国管理)といえば、長らく、旅行者に際限なく賄賂をせびることで広く知られていたではないか。

一瞬身を固くするも、呼ばれたブースの担当審査官は若い女性で、その風貌はまるで古風な日本美人のようだ。しかし瞳だけははしばみ色とブルーの中間の落ち着いた色に輝いている。そのギャップとそれが生み出す美しさに心を奪われていると、審査官は笑顔でパスポートを返しながら英語で「Welcome to Kazakhstan. Have a nice stay.」と言った。その瞬間、先ほどまでの緊張感が消え去った、俗物トラベラーの自分である。

市内中心部までは約16キロメートル、車で30分ほどの距離だ。主要道路がまっすぐに延び、どこまでも続く街路樹が豊かに枝葉を広げているのが印象的だ。英語の「leafy(葉が生い茂る)」という形容詞が脳裏をよぎる。エリア全体が乾燥した高原のような砂漠性の気候であることから、この緑豊かな街がシルクロードの時代から今も、巨大なオアシスのような存在であることが想像できる。

街の中心部は整備されていて通りや歩道の空間が広い。基本設計はソ連時代の都市計画によるものだという。確かに建物は概ね大型で、意匠は質実剛健、機能的、無機質という表現があてはまるものが多い。しかし時代は移り変わり、現代ではシンプルでミニマルなデザインの建物として一部はそのまま商業利用されている。通りを歩くのは東アジア人に似た風貌の人たちと、ロシア系であろう白人、一目では民族的な特徴がつかみづらい人たちなど、多様だ。すれ違うときに聞こえてくるカザフ語とロシア語の響きが美しい。

落ち着いた風情で洗練されたアルマティの街歩きもそこそこに、マルシュルートカ(旧ソ連構成国などの乗り合いミニバス)が発着する市内のバスターミナルに向かう。今回の中央アジア旅はまずカザフスタンに入ったが、そのまま隣国キルギスタンに進み、後日、再度カザフスタンに入国し国内をめぐるルートにしているのだ。


キルギスタン首都ビシュケクへ


マルシュルートカの目的地はキルギスタンの首都ビシュケクである。移動距離は高速道路を経由して約250キロメートル。所要時間は陸路の国境越えの手続きを含め、約4時間の行程だ。

アルマティは人口170万人を超えるカザフスタン最大の都市だが、バスターミナルのある中心部から車で数十分も走ると郊外に出る。間近に見えた天山山脈の支脈のアラタウ山脈もすぐに遠くなり、周囲には草原と原野が果てしなく続く。

10人ほどの乗客が肩を寄せ合う満員のマルシュルートカの窓の外は、地平線の彼方まで人工物がほぼない空間だ。それは想像を絶する広がりである。事実、ロシアの宇宙基地はカザフスタン領内の租借地にあり、地球への帰還カプセルもカザフスタンの大草原に降下してくる。自分が巨大な大陸のど真ん中にいることを実感できる光景だ。

広大な土地を貫く舗装道路には多くの車やトラックが猛スピードで行き交っている。太古からここが絶えることのない物流や交易の主要ルートであろうことが直感的にわかる。初めて訪れる土地で景色も見慣れないもののはずなのだが、どこか既視感というか、まるでここを以前に旅したことのあるかのような、懐かしいような気持ちにもなるから不思議だ。ユーラシア大陸を横断し、交易品や文化・情報をはるか極東の日本にまでもたらした、大シルクロードの成せる業だろうか。


カザフからキルギスへ、陸路の国境越え


ほどなく陸路の国境エリアに到着する。マルシュルートカをいったん下り、徒歩でカザフスタン側の出入国管理の建物に向かう。出国手続き場は混雑しているものの、建物は立派で比較的整然としている。ブースではにやけた中年男性の審査官が「キルギスなんて何しに行くんだ? カザフにステイしなよ」などと発音の怪しい英語で軽口を叩きながら出国スタンプを押している。軽口を返そうかと思うが、無用のトラブルの原因になりそうな気がして言葉を飲み込んだ。

フェンスをいくつか越えて100メートルほど進むと、今度はキルギスタン側の出入国管理の建物がある。辺りの空気が少し変わり、建物のクオリティの違いもはっきりとわかる。こちらの審査官は寡黙に手続きを行い、事務的に入国スタンプを押す。陸路の国境はリアルな世界だ。国境を共有する2国の経済力やイミグレーションについての姿勢の違いが如実に現れ、旅人はそれを連続して体験し、結果、両者の違いを直接比較することになる。カザフ側に比べると明らかに質素なキルギス側の施設と手続きを終え、マルシュルートカに再度乗り込むと、目的地ビシュケクはすぐそこだ。

ビシュケクは首都としては小さな街だが、ソ連時代に計画的に整備された街並みが整然と、そして美しく広がる、小気味よい都会だ。アルマティ以上に leafy、つまり街路樹や公園の緑に包まれた豊かさがある。街ゆく人々はロシア系の白人より、アジア系の風貌の人の比率が高いようだ。東アジア人(つまり日本人)にそっくりな人もたくさんいる。しかし聞こえてくるのはほぼキルギス語とロシア語だけである。街の看板などにも英語はほぼない。アウェーでありながらホームのような、なんだか不思議な空気感が楽しい。

ビシュケクは古くからシルクロードの要衝で、地域の交易の中心地だった。内陸の街でありながら、物が豊富で食が豊かなのはそのためだろう。宿に荷物を置き、市内の伝統的な巨大市場オシュ・バザールをのぞいてみる。生鮮品から衣料品まで、国産とロシア産のものを中心にあらゆるものが豊富にそろい、庶民の日常を支えているのがわかる。近年、現代的なスーパーマーケットが相次いで市内にオープンし、消費行動が大きく変わりつつあるそうだが、昔からあるこのマーケットには何千年にもわたる人々の暮らしの歴史が脈々と息づいているのだ。

ここから先の旅の情報収集にと、街中の小規模な旅行会社に飛び込んでみる。英語でコミュニケーションができるのは限られたスタッフだけで、白人の女性マネージャーが対応してくれた。キルギスの見どころや、この先に足を進めよう-thinking-ている中部山岳地域のコチクル村とソンクル湖への行き方などを尋ねてみる。チャーター・タクシーや国内航空便の利用を勧めつつ、詳細情報を懇切丁寧に確認してくれるが、残念ながら予算が合わない。気持ちよく対応してくれた分、申し訳ない気持ちで断ると、笑顔で「全然いいよ。旅行中はなにかと大変。旅行会社に問い合わせてサービスを利用しないのも普通のこと」と余裕がある。彼女はキルギス生まれのロシア人で、両親はもうロシアに帰ったそうだが、自身はビシュケクがホームだからここに残って働いている、と話す。両親はソ連時代に移住してきたが、ソ連解体とキルギスタン独立を経て、故郷のロシアに戻ったということだろうか。このエリアの複雑な歴史の一端を垣間見るようだ。

ビシュケクでは羊肉や野菜を中心にしたさまざまなキルギス料理を楽しむことができる。そのバリエーションは中華とロシアと中東からの影響を受けつつ、互いにブレンドし合い、この土地独自の味わいを作り出している印象だ。新鮮なマトン肉のスジがしっかりと歯間に挟まること以外は、概ね日本人の口に合う味のように思う。まさに、交易地ならではのクロスカルチャー的な食文化がベースにあるのだろう。


シルクロードの要衝、コチクル


さらにキルギスの深部に進もうと、またもマルシュルートカで3時間ほどかけて、約200キロメートル離れた山岳地域のコチクル村に向かう。その先にあるソンクル湖という標高3000メートル超の高地にある湖の畔で、ユルトと呼ばれる遊牧民の移動テントに滞在するのだ。

マルシュルートカが進む道は整備されているが、周囲はフラットな草原地帯で、道路脇だけに背の高い街路樹が緑の葉を広げ、美しい「街道」の風景を作り出している。今進むこの道はシルクロードの主要ルートの一つだったとされているのだ。

ほどなくして道路が険しい岩山に囲まれるころには、手元の簡易高度計は2000メートルを指している。岩山には背丈のある植物はほとんどなく、砂漠のように乾燥した土地であることがわかる。頭上には雲ひとつない紺碧の空が続いている。

コチクル村もまたシルクロードの要衝で、現在もキルギスタン中部の交易の中心だ。しかしながら村そのものには見どころはさほどなく、ここではCBTのオフィスに向かう。CBTはCommunity Based Tourism(=コミュニティに根ざしたツーリズムビジネス)の略で、地域産業としてのツーリズムを住民とともに進める組織だ。コチクルのオフィスでは旅行者に、約80キロメートル離れたソンクル湖畔にある地元住民が所有するユルトへの滞在や、そこまでの民間ドライバーなどを手配している。

さっそく2泊のユルト滞在をアレンジし、地元のおじさんのトヨタ車で湖畔に向けて出発する。コチクルの街並みはすぐに途切れ、周囲は赤土と岩山だらけの地域になる。どこか(オーストラリアの)エアーズロックにも似た色と形状の巨大な岩山が果てしなく連続している。その隙間に川や道路があり、わずかな斜面には羊などが放牧されている。ドライバーはスルガックさんといい、風貌はまるで子供のころに見た自分の(日本にいる)おじさんのようだ。道路は途中から砂利道になり、トヨタは周囲に樹木もほとんど生えていない険しい山道を疾走する。周囲の山々は3000メートルを優に越えているだろうか。空は青くひたすら高い。スルガックおじさんは車の安定を図るためか、終始満身の力を込めてハンドルを握っている。


原初的な静寂に満ちた山岳湖、ソンクル


3時間ほどかけてソンクル湖畔に到着する。この山岳湖は広さ270平方キロメートル(琵琶湖の3分の1強)で、水の透明度が高い。周囲は高山に囲まれ、付近にある人工物は遊牧民のユルトのみ。聞こえてくるのは風と湖面の波音だけ、という原始的とも宇宙的とも言える場所である。

ここに建てられたユルトに2泊するのだが、伝統的な遊牧民の移動式の住まいであり、その設備は究極的にシンプルである。電気は(ホストが住む隣のユルトにある)小型発電機がか細い電力を食事中と日没後の数時間だけ小型電球用に供給するだけだ。携帯電話の電波は草原を探し回るとたまにアンテナ1本分だけ反応する程度。データ通信やネット環境は一切なし、という生活である。

ドライバーのスルガックさんはすでに「自宅」のユルトに戻り、滞在のホストで食事などを提供してくれるディリヤさんとご主人、子供だけが周辺にいる。彼ら以外は草原や湖畔に放牧された牛や馬と鶏が歩き回っているだけである。モノは何もなく、することと言えば散歩と乗馬くらい。しかし、目の前の険しくも壮大で太古からまったく手つかずの自然、澄み切った空気と風そのものが、何にも代えがたい豊かさであることを全身で感じることができる。

湖の向こうに沈む太陽を見ていると、ここがまさにユーラシア大陸の中心の一角で、この世界のあらゆるものの根源がここにあるかのような気分になってくる。夕闇はほどなく漆黒の暗闇となり、空には三日月が妖艶に輝き始める。これから数えきれないほどの星が、全天に広がるのだろう。日本や(エア・アスタナに搭乗した)香港国際空港の喧騒、そしてアルマティやビシュケクの街の穏やかなにぎわい。きっとあれは遠い別の世界のできごとだったのだ、と胸のうちで確信したところで、ユルトに戻りマットレスに横になる。湖の波の音だけがいつまでもかすかに耳に響く心地よさに浸りながら、いつのまにか眠りについた。


*【後編】に続く。

― 了 ―

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